について、子供の時の記憶を頼りにかきました。
スマホからなのでリンク貼れなくてすみません。
https://realptg.com/2021/03/24/road-of-the-narcissism/
閑話休題。
小学生の頃、自分が大学に行けるとは思ってませんでした。
だから中学受験なんて考えたこともなかった。
私立の学校に行くなんて考えもしなかった。
父はいつも、
自分が死んだらお母さんを養うために働きなさい
と言ってました。
…
……
………?
おかしくないか?
私は常に中卒で働く決意をしていましたし、
高卒で働く決意もしていました。
まさか、学費の高い私大に行く上に、
30過ぎまで親の言うなりの人生とは
夢にも思わなかったですね。
というか、なぜ、15歳が体を売って母親を養わないといけないんだ?
どーせいつか裏の道で金を稼ぐんだから、
精一杯優等生ごっこ楽しもうー!
どーせそのうち族の方は行かざるを得ない家庭の運命なんだと思ってた。
親は中高くらいで死んで、
私は水商売とかレジ打ちで母を支えるはずだった。
多分母と二人になったらそもそも絶縁する運命でしたから、
デキ婚で無理やり家を脱出したは良いものの
でも悪い男に引っかかってDVされ捨てられて
今頃5人くらいの母親になって、
職を転々としてたんじゃないか、
というか多分生きていなかっただろうと思います。
リアルに考えると。
なんかそういうディストピアしか見えなかったですね。
周りがお花屋さんになりたいとか言ってるの羨ましかったです。
たぶん8歳くらいの時点では
将来に夢とか希望とかは無くて
もし万が一チャンスがあるなら教員になれれば御の字、
くらいにしか思ってませんでした。
おそらく貧困家庭の子供で、かつ、
親が未熟がダブルセットになってる場合
子供は夢を持つどころか
早く家を投げ出すのに必死で
結婚+グレるしか選択肢がないんでしょうね。
私がそうだったので。変なリアリスト。
こんな理屈をこねくり回す人生、
8歳くらいの時は少しも考えてなかったです。
どーせグレる、というかそっちの道にいかざるを得ないと思ってたのに、
中一の頃は公園で先輩と夜まで飲酒してるようなレベルだったのに(時効です)、
ついに優等生やり切っている。
なぜグレなかったの?ってよく聞かれますが
どーせすぐ父親死んだら速攻でグレざるを得ないから
まあ今は勉強してみるわーという気持ちでした。
生活保護とか受ければ良いのにね……。
やはりうちの親はおかしかったです(笑)
本当に数奇な人生です。
みんなそれぞれ数奇なんでしょうね。
だから私は人間が好きで、人の話を聞くのが大好きです。